MUGAMICHILL “HOPE tour 2021”  は CLUB GOODMAN のライヴで最終日を迎えた。バンドがスタートしてちょうど5年、MUGAMICHILL の音楽は深化を続け、とどまるところを知らない。どっぷりと音楽の空間に身を埋めて MUGAMICHILL をたのしみ、明日への力をもらった夜。多くのみなさんに体験していただきたいと願っている。

ー 12/29 CLUB GOODMAN Set List ー 
[1st] Slide, Lights, Sky
[2nd] Snow, Tears, Slow
[Encore 1] Wave, Minor
[Encore 2] Drone

 
 
 MUGAMICHILL は生き延びるための音楽だ。困難な状況にあってもひとが生を肯定するときにともに奏でていたい、そういう音楽だ。

 
 2021年秋、COVID-19 感染拡大の影響下を縫うようにして行われた MUGAMICHILL のライヴツアーは “HOPE tour 2021”と名付けられ、10月あたまから年末までに全国20ほどの街を訪れ、完走した。暮れも押し迫った12月29日、東京は秋葉原 CLUB GOODMAN での公演はその最終日となっていた。ここ数ヶ月のあいだ集中してライヴを重ねてきたバンドが、どのような音楽を聴かせるのか、そこに深化や熟成のようなものがあるのか、あるいはもっと外に拡張していくような別のなにかの芽を感じさせるのか、そんなことを考えるといやでも期待は高まった。

 またこの日は、MUGAMICHILL がバンドとしてスタートしてちょうど5年目ということもアナウンスされていた。考えてみれば2016年の12月27日、当時は「MUGAMICHIRU」という表記だったバンドが 西麻布 Super Deluxe でのライヴからスタートした。ナスノミツル、中村弘二、中村達也というそれぞれ別々の場所ですでに十分活躍してきた3人が、何度かのセッションを重ねながらバンドを名乗ることになった。そこからの5年間の歩みを確認するためにこの夜の CLUB GOODMAN を訪れたファンもいただろう。

 客席は満員に埋まり、暗闇のステージに中村弘二が登場する。静かに音が発せられライヴはスタートした。ゆるやかなテンポで音により空間がつくられ、音に合わせるように光が射し始める。ナスノミツルと中村達也も加わり、その空間にそれぞれが身体をなじませるように静かに音が出され、やがて音楽として像が結び始める。

 「Slide」という曲が始まった。MUGAMICHILL のライヴを見ているとそのとき誰がどの音を出しているか分からない場面がある。それはギターとか、ベースとか、その楽器から一般的にイメージされるような音にとどまらない、さまざまな音のカラーをそれぞれが持っていて、それらがさまざまな方向からひとつの音楽をかたちづくるために発せられているからだ。とてもユニークなことのように思えるが、その音色がなにか奇抜なひとを驚かせるもののように働くことはなく、どれもが音楽のそのときどきの場面のために吟味され、そこになければならないものとして配置されている。曲は「Lights」へと移り、中村達也がステージの中央にうずくまりキャンドルに火を灯した。ちいさく灯ったその火は、そのままライヴのあいだを通じてほのかに揺れ続けていたのが印象的だった。

 それぞれの即興と思えるパートが曲と曲をつなげるようにしてライヴは展開した。中村達也のスネアとスティックで少しづつ空間がひろげられていくように始まる「Sky」という曲は、そのタイトルの通りに上へとひろがっていくイメージも持つが、同時にどっしりと根を張り土をつかみ、しっかりとした体幹が大地と空をつなげていくようなイメージもある。音楽がなにかとなにかをつなげ、確信を得ていくような雰囲気もあった。短い単語ひとつでつけられた MUGAMICHILL の曲タイトルは、さまざまなイメージを喚起させる。

 MUGAMICHILL のライヴでは、中村達也がドラムセットを離れ客席のなかをスネアを叩きながら移動するような場面が珍しくないが、この夜はステージ左手の側面、すだれのような薄い膜のなかに置かれたスネアとバスドラムをひとしきり演奏する場面が用意されていた。そしてビートに合わせ膜には光が照射され、前半の見せ場のひとつとなっていた。

 中村達也のビートには、いつも心が躍る。音楽家の身体が躍動するさまを、ヴィジュアルと肌が受け取る振動として、わたしたちは感じ、ビートに同期し、そしてたまらなく叫びたくなったりする。MUGAMICHILL の3人はそれぞれの音を持っている。それは単に音楽の素材にとどまらず、その音楽家が拠って立つときに必須の「声」のようなものなのだろうか。中村達也についていえば、音(声)に加えて「身振り」ひとつひとつが音楽を構成する必須で必然のものとしてあるようで、演奏する姿、一挙手一投足に目が釘付けになってしまう。例えばこの夜では、椅子から立ち上がり、キックペダルを連打しながら演奏する姿は、まるで「歩いて」進んでいるようにも見え、音楽が前に進んでいく、音楽と一緒にわたしたちの心も躍り進んでいく「推進力」のようなものを目の前に実際に見せてくれているように感じた。本当に目が離せないのだ。

 中村弘二はこれまでどれだけの音楽を体験してきたのだろう。そのきっとひろく深い体験は、さまざまな声を通じて MUGAMICHILL の音楽にあらわれているのではないだろうか。音楽をセンス(感覚)でとらえ構築することのなかには、そのひとなりの考えや態度も当然にふくまれているものだと考えているが、一見は声高に感じないかもしれない中村弘二の音楽へのその態度表明は、いつも際立っているように思える。あらわれたそのセンスの素敵さは、曖昧や馴れ合いのようなものを排し、はっきりとかたちづくられる音楽を主張している。これも MUGAMICHILL の魅力のひとつだ。

 この夜は音に加えて照明もすばらしかったことを書き留めておきたい。音に光が反応し、シンクロし、演出効果を高めることはよく練られた「ショウ」を構成するものとして当然にあることだが、光が音楽を構成するひとつの要素となることは可能だろうか。そんなことをつい考えてしまうほど光が音楽の外縁をかたちどっているように思えたのだ。これは照明を担当した三嶋聖子氏の素晴らしい技術があってこそだ。機材をふくめたさまざまな工夫をこらし、光と音楽とを同化させ、音楽のあたらしい空間を生み出しているよう感じられた。そして、ときどきスモークの表面に光が射すとき、実際には手で触れることのできないはずの MUGAMICHILL の音楽がつくった空間の、テクスチャーを、わたしたちはそこに見ることができたように思う。まるで触れられるものと錯覚するように。またところどころで、次の曲が始まるまでの無音の時間が長く取られていたことも印象に残った。その場面では光のブロックが断続的に明滅し、壁や天井に照り返り、不規則なリズムを奏でていた。無音でありながら、リズムがあり、実際にそれはある音に反応して、その音に即して演奏されていた光の束だった。音を持たない音楽を光であらわし、MUGAMICHILL の音楽を構成するものとなっていた。これは、音楽は音だけでできているのではないことを明確に示していた。無と音が、白と黒のようにあるのではなく、無が混沌と満ちたものが音楽となり、同時に無は「散る」ことでも音楽となる。そんな言葉遊びを許していただけるなら、ありとあらゆるものが音楽のためにその場にあり、音楽が生み出す空間をかたちづくるために働く、ともいえるのではないだろうか。あたらしい音楽は、固定観念の枠の外に生まれるものだから。

 ナスノミツルという音楽家のなかで、MUGAMICHILL の音楽はどのようなイメージを経て、いまのこのような姿になったのだろう。5年前の記憶をたどりながらあらためてそのことを尋ねてみたいと思った。

 

 前後半の間にとられた15分ほどの時間、いま体験した音楽を誰かに語りたいはやる気持ちを抑え、期待しながら待つあいだ、会場にはポーランドの街角での男性達の会話が流されていた。意味を知らない他国の言語をただ音としてとらえた場合、そこにあるしゃべりのリズムや会話の応答はまるで音楽のようだ。そのことはわたしたちの会話もまた、誰かによって音楽のよう聞かれる可能性も示している。その対称性は、あらゆるものに敬意を払い毀損しない態度ともつながっているはずだ。音に対する素朴な好奇心が、MUGAMICHILLの音楽へとつながっていることをあらわしているようで、おもしろい時間となっていた。

 

 ライヴ後半は即興演奏から始まり「Snow」へ。中村達也のドラムソロから「Tears」へと、そして中村弘二のソロもはさみ「Slow」とつなぎながら進められた。MUGAMICHILL を聴いてあらためて思うのは、これはただ、もう、とにかく、「ロック」だなということだ。実際には「ジャンルなどない」と言い切ってしまうこともできるのだが、それでも「ロック」にこだわりたい気持ちが勝る気がした。皮相な言い方になってしまうけれど、90年代あたりから、ロックはさまざまなサブジャンルを抱え、それぞれがまるであたらしいなにかを示しているようでいて、実際には同じような仕草を繰り返し、消費者を選別し囲い込むことを繰り返しているよう思える。そういった状況は音楽に対して誠実だろうか。そしてそれはあたらしいなにかを生むだろうか。MUGAMICHILL を「なになにロック」と呼ぶことはできるのかもしれないが、3人がそれぞれにこれまで活動して生み出してきた音楽という背景があり、本当に多彩で多様なそれらが流れ込むようにしてできあがった音楽は、なにかに例えることも形容詞をつけることもなんだか意味のないことのように思えるのだ。そこには「ロック」としか呼べない音楽があって(繰り返しになるが、もちろんそれは「ロック」でさえないただ「音楽」かもしれないが、そのような相対化もまたアイロニックに思え)、そのロックに自分は確信のようなつながりを感じることができた。MUGAMICHILL の音楽は、そこには3人それぞれの人間性があらわれてもいるようで、実際に音楽にひたむきに向き合う姿勢がなければ、このようなロックにたどり着かないのではないだろうかと思える。

 要するに、本当に素晴らしい意味でこの3人は音楽に対して「真面目」なのだ。そのことが、自分が MUGAMICHILL を好きと思う感覚に結びついているように思えた。

 アンコールには「Wave」「Minor」が演奏された。サンプリングされた黒人公民権運動の指導者マーチー・ルーサー・キング Jr. のスピーチが音楽として鳴らされ、それに反応した中村達也がセカンド・ラインのビートを打ち出す。音楽はさまざまな流れを持っていて、音楽家はその流れのなかに自分の身体を浸し、また受け継ぎ、つなぐように、自分の音楽を生み出す。MUGAMICHILL もそのようにして自らの音楽を、さまざまな参照に力を得ながら生み出していることがうかがえる印象的な場面だった。自分たちが聴いてきた音楽に敬意を払い(それはもちろんロックに限らないのだ)、それをあらたな流れにつないでいく。MUGAMICHILL がひろい世界とつながっている音楽だと感じられる瞬間でもあった。

 そして中村達也ひとり残り、ステージ上手に置かれたシンバルに歩み寄った。マレットを手に打ち鳴らされるシンバルは長く響き、なにかを鎮めるように、あるいは悼むようにも聞こえた。数回くりかえされライヴの幕がおろされた。その時点でも充足したライヴであることに疑いなどなかったのだが、2度目のアンコールとして3人が呼び戻され「Drone」で締めくくられた。繰り返されるシンプルな複数のメロディが、折り重なるようにして面をつくり、その面自体がビブラートしている。空から降りそそぎ空間を揺さぶる低音、カットアウトするビート、面を切り裂き切れ目を一瞬の残像として残し斜めに逃走していく音色。意識の焦点をどこかに持って行くことを諦め、ただ浸り音楽のなかに沈んでいきながら、名残惜しさを感じているなかでライヴは終了した。

 大きな音で数時間好きな音楽を浴びる。当たり前のようにこれまで続けてきたわたしたちの営みが厄災によって制約を受け、しばらくぶりに取り戻せたとき、身体は本当に喜び、振るえ、奮い、そして放心するしかないのだなとしみじみ思った。その喜びをこのライヴからあらためて感じた。このことは音楽家たちのすばらしい演奏に加え、CLUB GOODMAN という場も大きな力となっているだろう。大きな音量であろうともそれを飽和させず、それぞれの音色を音楽家の意図に沿って鳴り響かせることのできる技術や設備があってこそだ。これはMUGAMICHILL のライヴ現場を何度も担当してきた P.A. エンジニアの田代幾美氏の力によるものが大きい。バンドとのあいだに築かれた信頼関係が、音楽に貢献していることはいうまでもない。

 また、COVID-19 の影響で一度は消えかかった CLUB GOODMAN というこの場所が、関係者の努力や多くのミュージック・ラヴァーの支援で続けられている幸運について考えないわけにはいかなかった。素晴らしいエンジニアたちが、生計のために離職せざるを得ない状況をたくさん耳にしたものだから、その幸運をなおさら感じた。

 5年前、このバンドがスタートしたライヴの告知には「深淵 融合 果たして 必然 新たなる響きの起動」という惹句が添えられていた。ここに「必然」という言葉が入っていたのだ。音楽のよろこびは、偶然生まれるものではなく、もっと力強く意識されたなかから、きっと必然として生まれるのだ。このバンドのつくりだす音楽の深化が進んできたことは当然だが、5年前の時点でこのバンドがイメージしていたものは、いまに至っても貫かれているのではないだろうか。それはとても確かなものとして。MUGAMICHILL の持つであろうその確信は、どのようにしてわたしたちに力を与えるのか。

 

 音楽は、わたしたちの生活のなかで、鼓舞し、慰撫し、悼み、労り、歓喜し、悲嘆するときに、そばにある。それは生きていくために必要なもので、ひとは孤独に生きながらも、ともにあるものとして音楽を選ぶ。厄災が起こる前から実際にはさまざまな困難がわたしたちの生きる環境を取り巻いており、それを意識せずともいられたのは、幸運であり怠慢だったのかもしれない。ただ、それが現前にあらわれたいまは、もうわたしたちはそれらの困難に目を背けて生きていくことはできない。生活は続き、明日も生きるのだ。そのときに携えていなければ生きていけないものの名をひとつあげるとするなら、それはきっと「希望」だろう。孤独に絶望し、そのなかから生きるために思考し、抗い、そして生きる力として手放すことができないと改めて思うものこそが、それなのだ。

 生き延びるためには、闘うことも、祈ることも、呪うことも、それぞれあるだろう。それらがあることは、どれも生きるうえでの希望となるのだ。そしてあなたのそれぞれの場面であなたに力を与えるものとして、音楽はともにある。確信をもってともにあるだろう。“HOPE tour” と名付けられたMUGAMICHILL のこのツアーの意味は、そこにあるのかもしれない。

 だからこそいま、MUGAMICHILL は生き延びるための音楽だと、心からそう思う。明日も生きるために。

 

 谷口岳 trailights record